田住 光人(あきひと)

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 私は公認会計士を目指して、鹿児島にある大学の法文学部で学んでいます。将来は経営コンサルティングの仕事もして、日本や世界に貢献してゆく若い経営者を支える仕事をしたいと願っています。

 会計士を目指したのは、母の病気がきっかけでした。

 私は熊本で育ちました。小さい頃、母はとても元気で、そして怖かったです。玄関で靴を並べないと、それだけで真っ赤になって「あっくん!」と怒鳴りますし、家の中でボール遊びでもしたら、もう火が出るように叱られました。母は体格も結構よかったので、私たちも周りのみんなも「パワフル母さん」という印象をもっていました。母には持病があって、時々発作が起こると聞いてはいましたが、あの元気な母からは、それほど深刻なものだとは想像もできませんでした。

 ところが、私が高校生のある日のことです。私たち兄弟が茶の間でテレビを観ていると、母が「ちょっと疲れたから休むね」と、隣の部屋で横になったのです。弟が何かを感じたのか、そっとふすまを開けると、急に「お兄ちゃん!」と叫びます。見ると母がひどい発作を起こして、全身を硬直させていました。急いで父に言って救急車を呼びましたが、そのまま入院になりました。「発作というのは、こんなに大変なものだったのか」と、私は初めて母の病のことを知ったのです。

 父は新聞の営業の仕事をしていました。母は一生懸命支えながら、いつも「将来は夫婦で独立して、販売店をもつのが夢」と語っていました。ところが、だんだん病気がひどくなってきて、思うように働けなくなってきました。何でも精いっぱいやる母でしたから、辛かったと思います。

 夜中になると私たち兄弟が寝ている隣の部屋で、母が泣きながら祈る声がよく聞こえてきました。何もできない自分が悔しかったです。「どうか神様、将来はぼくが良い仕事をして、何とか母を楽にできますように」と、布団の中で祈ったことを思い出します。

 もともと経済や法律が好きだったこともありますが、私はそういう気持ちから公認会計士を志したのです。それで、会計士になる勉強ができる大学を目指しました。

(2014年 鹿児島市在住)