長山 節子・長山 優子
聞き手:安食 久二子

 日曜日の朝、優子さんはお母さんの節子さんと一緒に、早めに家を出ます。そして沖縄幕屋に着くと、座布団を一枚一枚並べて、集会の準備のお手伝い。身体も言葉も不自由ですが、集会では皆さんと一緒に、目をキラキラさせて賛美歌をうたいます。会の終わりに優子さんが、「神様、ありがとうございます」と祈られました。

 言葉以上に伝わってくる、優子さんの純一な熱い信仰に、深い感動を覚えました。

安食久二子 この「王」の字には、生命力がみなぎっているのを感じます。那覇市の障害者美術展で入賞した作品なのですね。

母・長山節子 はい。これは、祈って祈って、一生懸命に書いた作品なのですよ。優子は2歳の頃に、脳性麻痺と診断されました。40歳を超えた今も、筋肉の緊張の強い麻痺が両手足にあって、痙攣(けいれん)してしまうので、普段は字を書いても、本人にしかわからないのですが。

 知能はそれなりにしっかりしていますが、人の数倍かけて、ゆっくりでなければ話せません。歩くにも食べるのにも補助が必要で、重度の障害者です。

娘の信仰

 娘は、幼い時から祖母に連れられて幕屋の日曜集会に通っていました。ところが彼女が20歳の頃、いつも一緒だった祖母が以前にいた教会に帰ることになってしまいました。その時この娘は、必死に訴えました。「幕屋でなければ、他に行きたい所はないの! 私は、1人になったって行くんだ!」

 感情そのまま、幼な子のように叫びつづけたのです。この集会に働く神様の生命を、心底から慕っていたのです。そして、自分のことをずっと祈っていてくださる幕屋の方々を、家族のように思っていて、大好きなのです。

 でも1人では行けないので、私が毎週、付き添うようになり、本土での毎年の夏期聖会などを楽しみにしているので、それにも同行しました。娘の信仰に引かれて私自身も信仰に目覚め、導かれてきたと思います。

いちばんうれしかったこと

娘・長山優子 幕屋の皆さんが、イスラエルに、聖地巡礼に行くのを見て、私も、行きたくて、たまらなかったです。‥‥しばらくして、障害のある人や、身体の弱い人のための巡礼があって‥‥、私も行くことができて、ほんとうに、うれしかったです‥‥。

 聖地で2つ大きな体験をして‥‥、1つは、イエス様が「幸いだなあ! 霊の貧しい者たちは」と語られた、山上の垂訓の山で祈った時‥‥、私の前に、神様がいらして、「よく来たねえ 」と‥‥、おっしゃってくださいました。うれしくて、うれしくて‥‥、思い出すと、元気が出ます‥‥。

 そして、もう1つ‥‥、ペンテコステの起きた、エルサレムの二階座敷で、祈った時です。‥‥伝道者の先生が、「皆さん、ここから新しい出発ですよ」と言ってくださった時に、ほんとうに、新しい心になって、‥‥沖縄に、帰ってくることができました。

節子 娘を出迎えた時、「まあ、どうしたの! 輝いているわ」と、ほんとうに驚きました。この巡礼で、優子は神様と、直々にお出会いしたのですね。その後も、信仰的にたくましく成長してきたと思います。

 4年前(2014年)の夏期聖会では、火渡りの霊修に2人で参加しました。炭火の上を踏み進むうちに、優子の足取りが乱れ、脇を抱える私もろともその上に倒れ込んでしまいました。ズボンが焼けこげているのに、それでも彼女はひるみません。最後まで歩き通しましたね。心の向上、突破への熱願が、とても激しいのです。

長山節子さん(右)
優子さん親子

優子 私は今、障害をもっている人たちの、授産施設に通っています。‥‥私は言葉が不自由だから、相手に、気持ちがうまく伝わらなくて‥‥、一生懸命になると、顔がこわばってしまうので‥‥、「顔がこわい」 と言われて、‥‥とても悲しくて‥‥、落ち込むことが多かったです。その心に負けないよう、神様に叫んで祈って。今はもう大丈夫、‥‥楽しく仕事場に行くことができて、‥‥親友もいます。

節子 以前は、相手の言葉や表情に傷ついて、家に閉じこもってしまいましたが、この頃はグンとたくましく、何事にもとても積極的です。美術展への出品も、その一例です。

 神様への愛は、純情一筋です。優子が1人で、聖書を読んで祈っている声が、部屋からよく聞こえてきます。自分より若い方々や、子供たち、病にある方の名前を挙げて、お一人おひとりのことを心を込めて祈っています。

 娘の信仰に主人も共感していて、援助を惜しみません。ただ私たち夫婦は高齢です。いつの日か先に逝かなければならないでしょう。その心準備をと思い、何度もそのことを言って聞かせても、明るくて楽観的で、「私は、父さん、母さんがいなくても大丈夫よ。神様と一緒に生きていくから」と言うんです!

(2018年 沖縄県在住)