わずか15歳で脳腫瘍を患い、闘病の末、召天していった少年・長屋勇彦(ゆうげん)君。襲ってくる絶望を、御名を呼びつつ幾度も突破する姿は、死に勝利するキリストの証人そのものでした。天に帰って10年、勇彦君最後の1年余りの記録です。

 2006年11月、山口県萩市の中学校のテニス部で練習をしていた勇彦君は、突然ボールが二重に見える症状に襲われます。病院で検べると、大きな脳腫瘍があり、頭の中に溜まった水が脳を圧迫していました。

 「この種の腫瘍で、5年と生きた例を私は知らない」、そう医師は両親に話し、ひどい吐き気が彼を苦しめはじめます。健康だった少年を突然襲った激しい苦痛と絶望。入院した勇彦君は、あまりの苦しみに、「死にたい、死にたい」と繰り返し両親に訴えます。

 しかし放射線治療を進める中で、彼の魂に力を与える出来事が次々と起こりました。その1つは、伝道者である祖父・竹下仁平さんの言葉を聞いたことでした。

 駆けつけた竹下さんは、勇彦君に向かって語ります、「勇彦、何を悲しんでいるんだ。君は神様から選ばれてこの病気を与えられたんだ。神様は乗り越える者を選んでくださったんだ。神様に感謝して祈りなさい」と。この言葉は、その後も絶望に折れそうになる勇彦君の心を励ましつづけました。

 そして、意識のない中で、彼はありありとキリストに出会う体験をします。その時の体験を、後に幕屋の集会で次のように語っています。

 ぼくは絶望の暗闇にいて、いつも死にたい、死にたいと思っていたんです。その時に、膝からこうして撫でてくださる感覚がして、びっくりしました。ぼくは、「神様ですか」って聞いたら、「わたしはずっとここにいるよ」って声が聞こえてきました。
 その時に、自分の右手が上がったんです。そしたら、「わたしはここだよ」って言って、右手をぎゅって強く握ってくださいました。その夜中は、ずっと、ありがとうございます、ありがとうございます、と感謝の言葉を言っていました。

魂の叫び

 勇彦君が1回目の放射線治療を始めた頃、全国の幕屋の中高生たちは、毎日時間を合わせて夜9時に祈りはじめます。父親の正彦さんは、「9時に勇彦と手を合わせると、いつも病室が何百人と一緒に祈っているような濃厚な生命に覆われました」と語っています。

 2回目の治療で放射線治療と化学治療を並行して行ないますが、彼はひどい吐き気に苦しみます。毎日必死に祈りながら、苦しい治療を乗り越えますが、腫瘍の大きさにはあまり変化がありませんでした。

 その時、自分の感情では絶望に打ちのめされそうになります。しかし、もっと深いところで魂がキリストに縋り、祈りを上げているのを発見してゆきます。

 先生が「全然変わってなかった」って言った時、ほんとうにベッドで泣き崩れて、「なんであんなに苦しいところをいっぱい通ったのに、全然小さくならないんですか」って言って、その時は自分の感情では、神様を離れようとしていました。でも、ぼくの魂は違っていたんですね。魂から、「神様助けてください、この腫瘍を取り除いてください」という祈りが出てきたんですよね。

死の恐怖の克服

闘病中の勇彦君

 発病から4カ月、勇彦君は世界的に有名な脳外科医の手術を受けることになりました。医師は「手術中に亡くなる可能性もある。でも君が希望をもつなら、手術をしよう」と、難手術であることを隠さず語ります。

 手術は5月に行なわれましたが、その前日、勇彦君は強い恐怖に襲われます。後に勇彦君は言いました。

 手術の前日に、ものすごく怖かったんですね。初めて目の前に死を置いて、自分はその前日のことを、恐怖でほとんど覚えていないんです。
 でも夜9時に「神様、ぼくはまだ死にたくありません。やりたいことがいっぱいあるんです。テニスがやりたい、学校に行きたい、家族と食事がしたい」とやりたいことを全部言って、その祈りが終わったら、ああ、大丈夫だ、神様は絶対に最善をなしてくださると思えるようになったんです。だから手術室に入る時には、ピースして「行ってきます!」って言ってニコニコしながら手術室に入っていきました。

 その手術はうまくゆき、写真で見る限り脳はきれいになります。しかし、がん細胞が残る可能性があるため、8月に入ると、4回目の化学治療が始まりました。

 以前よりも激しい吐き気。化学治療は白血球や血小板など、いい細胞も殺します。この時は輸血が必要になるほど、血液の状態が悪くなりました。

 しかし、その苦しい状況の中で、再び彼の魂を揺さぶる言葉との出合いがありました。この頃発刊された『生命の光』に手島郁郎先生による、ロバート・ブラウニングの英詩「ラビ・ベン・エズラ」の講義が載りました。その中の一文が勇彦君の魂を捕らえたのです。

 「私は死ぬために生きない、生きるために死んでゆく。これキリストの死生観である。……生死を透脱しても働くは、キリストの霊である。永遠の義である。死は死でない、愛である」。勇彦君は日記に書きます。

 「死は死でない、愛である」という言葉を聞いた時、涙があふれ出る。すごく嬉しい!

最後の闘い

 12月、脊髄にがんが転移していることがわかり、再び手術と放射線治療が始まります。この時も必死に祈りながら、20回の放射線治療を乗り越えますが、腫瘍は再び脳の中に広がっていました。

 勇彦君が残した日記の最後の日付は、召天の10日前、2008年2月17日です。

 朝から頭痛と吐き気あり。家族と祈る。吐きながらも大きな声で魂が祈りだした!! 詩篇23篇を読むと、ほんとうに大丈夫だと確信する。

 召天の7日前、闇の力との最後の闘いが始まります。2月21日の朝、勇彦君は、「夜中にキンキンと頭の上で金属音を出しながら闇が襲ってきて、ものすごい頭痛がくる」という話を母親にします。吐き気がひどくなり入院。翌日には両目が全く見えなくなります。その夜の体験を、彼は家族にこう話しています。

 昨夜も闇がしつこく、「おまえの病気は治らない。こっちに来たら楽になるぞ」と誘ってきた。でも、「ぼくはキリストの証人になるんだ! だから神様の方に行く!」と魂が叫んだので、自分は魂の方向についていったら、闇は来なかった。

 その日、両親に医師から、脳全面に腫瘍が広がっていて、もう末期であることを告げられます。そして、2日後には完全に意識を失うのです。

 竹下仁平さんはすぐに病院に駆けつけ、体が冷たくなりかけている勇彦君に向かって、ヨハネ伝12章の、イエス・キリストが十字架を前に祈っておられる箇所を読み、天に行く導きをします。

 「すると天から声があった、『わたしはすでに栄光をあらわした。そして、更にそれをあらわすであろう』(28節)」。「勇彦、次は君の死を通して、キリストの栄光は現れるんだ」

 その時、すでに意識のない勇彦君が、天に向けて「うわー」と2度声を上げ、再び昏睡状態になりました。「祖父の導きを受け、勇彦は『これで天に帰れる』という喜びの魂の声を上げました」と、母親のエスタさんは、その時のようすを語っています。

 高校1年生、わずか16年の人生。しかし、永遠の生命を証しして、勇彦君の魂はキリストの許に帰りました。彼のノートの最後のページには「死は死でない、愛である」と書かれていました。

(2018年)