村山 悦斎

 今春(2017年)、私は聖地巡礼団に参加しました。私にとって、久しぶりのイスラエル訪問でした。

 エルサレムは、石造りの建物ばかりが連なっていて、空気は乾燥し、日本の町とはまったく違う雰囲気が漂っています。けれど、初めて訪れた巡礼団員も、何かしら郷愁のような思いを抱いた、と言われます。若き日にこの地を訪れ、回心を経験した私も、まさに故郷に帰ってきたような懐かしさに包まれました。

 私たちは、初代教会に聖霊降臨(ペンテコステ)が起きたシオンの丘に行き、聖書のその前後の箇所を読みました。復活のキリストと弟子たちが最後に交わした言葉にさしかかった時、私はある思いに捕らえられました。

 「弟子たちが最後にキリストに問うた最大の関心事は、イスラエル国の復興だったんだ」

 さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない」
(使徒行伝1章6~7節)

 キリストの答えは遥かに次元が違いますが、弟子たちの思いを否定してはおられません。

 「父がご自分の権威によって定めておられる」時が満ち、それが実現したのは、1900年後の現代イスラエルの建国です。もし弟子たちがいたら、狂喜したに違いありません。

 私たち幕屋が現代イスラエルを愛するのはキリストの弟子たちと同じ思いだからなのだ、と知りました。

(2017年 東京都在住)