三井 カルメン
聞き手:長原 眞

長原 私は去年(2017年)、メキシコの最南端のチアパス州で日本語を教え、日本文化を紹介している八木五郎さん、千草さん夫妻を訪ねました。その時、八木さんを通して幕屋の信仰に共鳴しておられる、三井カルメンさんにお会いしました。三井さんは、明治時代にこの国に移住した日本人の血を引く、日系3世です。

三井 私は日系3世ですが、日系人であることを誇りに思っています。そして、「嘘をつくな」「人には親切にしなさい」といった親の教えは、私たち日系3世、4世にも受け継がれています。

 そんな中で、私は自分のルーツに興味をもちまして、探しはじめて28年になります。けれども、誰にお願いしても見つけることができませんでした。

 5年ほど前、日本から来られた八木五郎さん夫妻と知り合いました。いろいろ話すうちに、ご夫妻がメキシコ滞在のビザのことでとても苦労しているのを知りました。その時なぜか、八木さん夫妻を助けるのだ、という神様の、声ならぬ声が聞こえてきたのです。

祖父の故郷

 幸い、私が市会議員をしていた時の知り合いで、移民局に勤めている女性がいます。そのことを思い出して、相談に行きました。

 そして、「八木さん夫妻は、この地の日系人たちに、日本語と日本文化を教えるために来ています。日系人にとって、とても大切な人です」と言いましたら、

 「それなら永住権を申請する資格がある」と言うのです。それで、申請書類を提出するために、私は役所に何度も足を運びました。彼女もとても熱心にお世話してくれて、八木さんたちは永住権が取得できたのです。

 八木さんが幕屋の人なので、私はその時、八木さんを通してメキシコ幕屋の川原博さんと知り合うようになりました。川原さんは観光ガイドもしておられますので、日本に知り合いの人が多いですね。川原さんが奔走してくださったお蔭で、愛知県の城ヶ入村(じょうがいりむら 現在の安城市の一部)が、祖父の生まれ育った地であることがわかったのです。

 一昨年、川原さんに同行していただいてその村に行きましたら、祖父ゆかりの神社とお寺で、祖父の慰霊祭をしてくださったんです。とても感動しました。

 それだけでなく、川原さんがいくつかの幕屋に案内してくださいました。どこの幕屋へ行っても、家族のように歓迎してくださって、その無条件の愛に、私は言葉で言い表せない感動を覚えました。

新しい家族

 ルーツを探す旅で、私は変わりました。メキシコに帰ってから、見るものすべてが新しい。心が平安になりました。価値観が変わったというのでしょうか、忍耐強くなり、愛をもって接するときに、人を深く理解できるようになりました。

 6年前、母が亡くなった時、とても悲しかった。主人と別居するようになったことよりも、母が亡くなったことのほうが辛く、その悲しみは最近まで続いていました。でも日本から帰り、八木さんたちと祈りはじめて、心から「天のお父様!」と祈るようになったら、その悲しみが取り去られたのです。しまっていた聖書を取り出して読むようになりました。 

 去年、パラグアイで行なわれた幕屋の聖会に出席しました。それは私にとって初めての経験でした。聖会中だけでなく旅行の間、メキシコ幕屋の婦人たちと一緒に過ごしたのですが、何でも話せて、愛の交わりというのでしょうか、家族以上に親しくなりました。このような信仰の友が与えられて、嬉しいです。

 以前行っていた教会のミサは、1時間がとても長く感じられたのですが、幕屋の集会は2時間も3時間も続き、聖会だとそれが3日間ありますね。でも疲れない。心が喜んで、あっという間に過ぎてしまいます。

 聖会に出席して、本当のもの、真実なものに近づいた実感がありました。そして、「天のお父様!」と祈る時、神様が身近に感じられるのです。

手作りの慰霊祭

 ルーツ探しと言いましたが、私の祖父は三井久吉といい、120年前、当時の日本の外務大臣、榎本武揚(えのもとたけあき)が計画した「榎本殖民」の一員として、メキシコの南端、ここチアパス州に移住してきました。

 去年(2017年)の5月、移民団が最初に上陸したサン・ベニート港(現プエルト・マデロ)において、「日本人メキシコ移住120周年記念」を祝う式典が盛大に行なわれました。その式典には、日本大使をはじめ、各界の名士が参列して祝辞を述べられました。けれども私は、そのような公式行事より、もっと心のこもった慰霊祭をしたい、と思いました。

 それで、八木さん夫妻や川原さんたちの協力を得て、移民団が最初に開拓の斧を振るったアカコヤグアの村で慰霊祭をすることにしました。現在、アカコヤグアに残っている日系人はそれほど多くはありませんが、それぞれにおじいさんの写真や家族の写真を持ち寄って、日系会館の教室の壁に貼り、生け花を飾りました。素朴な手作りの会になりました。

 みんなで賛美歌をうたい、祈った時、おじいさんたちが久しぶりの再会を喜んでいるようで、集った私たちの心もうるおされました。こういう会を毎年やりたい、と語り合ったことでした。

アカコヤグアでの慰霊祭

天の使命

 祖父たちの開拓は、当初大変だったようです。コーヒー栽培をするつもりで入植したものの、失敗の連続でした。中には、あまりの辛さに逃げ出す人もいました。そんな中、熱帯農業の専門的知識のある布施常松(ふせつねまつ)という人が、自ら入植を志願して来ました。

 この方は無教会の内村鑑三のお弟子さんです。布施常松のお蔭で、開拓も軌道に乗りはじめました。それで彼は、新天地で働く希望のある人は喜んで受け入れる旨を恩師に手紙で伝えました。やがて内村鑑三の弟子たちが次々と移住してきました。

 この人たちの感化を受けて、祖父も聖書の信仰に生きるようになりました。洗礼名をヘスース(イエス)といいます。ほとんどの人がクリスチャンになり、日曜日には一緒に集まって賛美歌をうたい、祈っていたそうです。祖父たちは、この地に理想の新天地(コロニア)を作ろうとしました。互いに助け合い、愛し合って、大家族のようだったといいます。今でも年上の人を、親しみを込めて「おじさん」「おばさん」と呼んでいます。

 このような意味で、私の精神的なルーツは内村鑑三にあると思っています。

 私には、天の使命があるのではないかと思うのです。私の周囲には、パラグアイの聖会で頂いたスペイン語版の『生命の光』を読んで、感動している人もいます。それで、私も八木さんたちと一緒に家庭集会を開き、聖霊を求める人たちと祈っていきたいと願っています。

長原 三井カルメンさんに限らず、チアパス州の日系人たちは、70歳を過ぎてから日本語と日本文化を教えるために移住してきた八木さん夫妻を尊敬し、いろいろな援助を惜しみません。そして、幕屋の人たちと接触すると、日本のよき精神がわかる、と言われます。

(2018年)