村松 みち子さん・佐藤 勇子さん
聞き手:町山 峰子

 冬のある日、埼玉県入間市の村松みち子さん(写真右)のお宅に伺いました。

 「ただ話だけじゃつまらない。一緒にご飯食べましょう」と、割烹着をつけて台所に立たれると、ご近所の佐藤勇子さんが来られました。

 「この佐藤さんはね、じゃじゃ馬なのよ」
 「あら、じゃあ、お母さんは何なんですか」

 何げない会話の中に、通い合うものを感じます。

 村松みち子さん、84歳。若くして未亡人になられ、それ以来、信仰なくしては生きられない人たちと一緒に住まい、祈りつづけてこられました。佐藤さんもそのお一人です。

祈りの家にいらっしゃい

町山峰子 ここは、皆さんの祈りの家なんですね。

村松みち子 そうですね。祈り会は40年以上になります。初めは朝5時半から集まっていました。人数が増えて入りきれない時もありましたね。今も毎朝8時から、7~8人の方が遠近から集まって祈っています。

佐藤勇子 村松さんのことを私は「お母さん」と呼んでいます。叱られることもありますが、そのあとには言葉もなく抱き合うような、肉親以上の関係なんです。

 私は秋田の出身です。村松さんと出会う前のこと、主人が多額の借金を抱え、再出発を願って千葉に出てきたものの、今度は賭け事にはまり、どうにもならない状況でした。そんな時、職場に物品販売に来られた方が、一冊の本を下さったのです。それには『生命の光』特集号と書いてありました。中を開いてみると、婦人たちの輝く笑顔の写真が載っていました。こんな人たちがいるんだろうか、と思いました。

 もし本物の信仰なら手紙に返事が来るはず。訪ねてこられるのは怖いから、遠い大阪支局に手紙を送りました。すると「あなたとあなたのご主人の上に天の光が輝きますように」と返事が来ました。

 やがて東京の集会に行きました。前に座るように言われましたが、「しまった、ここは私には合わない」と思いました。そして最後の祈りの時、伝道者の方が「お父様、と言って祈りなさい」とおっしゃいます。

 私は父と幼くして別れて、新しいお父さんにもなじめず、さびしい時を過ごしていたこともあって、「無理です! そんなこと言われても、どのお父様かわからないのに、言えません」と言いました。

 でも、これを言わないと帰れないのかな、と思って「お父様」と言ってみました。そうしたら、ストーンと、それまでがんばってきたものが落ちてしまって、楽になったんですね。

 それからは、ここだ、ここに来れば神様に出会えると思い、心配していた秋田の母にも『生命の光』を送って、「私はこの信仰をもって生きるから、もう大丈夫」と手紙を書きました。すると、母も秋田で、幕屋の信仰をもって生きるようになりました。

(2015年)