黒川 和哉

kurokawa769kakowa

 小学生の時、私はひどいいじめに遭っていました。たとえば、裸にされて体にマジックでいたずら書きをされる。そのようないじめをずっと受けてきました。

 私は脳に障害があって、そんないじめを受けても、ひどく落ち込むことはなかったのです。そういう気持ちがあれば、生きることに耐えられなかったでしょう。

障害者としての苦悩

 私が生まれる前、母に大きな卵巣嚢腫(のうしゅ)が見つかりました。手術を受けたのですが、当時は全身麻酔だったため、お腹にいた私は一時的に、脳が停止した状態になったのです。

 生まれた時、何度お尻を叩かれても泣かず、諦められてポッとシーツの上に置かれた瞬間、泣き声を上げたそうです。奇跡的に命は助かりました。

 それで私は、普通の人とは違って、子供の頃の記憶が全くありません。また幼稚園に行く年になっても言葉がうまく話せず、おもちゃで遊びたくても言えなくて、「うーんと、うーんと」と言うだけでした。

 先生方は障害児の学校に行かせたほうがいいと言われたそうですが、母は、「いいえ、この子は普通の学校に行かせます」と言って、幼稚園も小学校も、私を普通の学校に通わせました。

 私はそんなこととはつゆ知らず、なぜ自分だけがこんなにいじめられるのだろう、と母に聞いたそうです。母は、「おまえはみんなと一緒だよ、何も変わらないよ」と、何度も言って聞かせていたそうです。

 私が幼稚園の時に父は家を出ていってしまい、母は私と弟の2人の子供を、3つの仕事を掛け持ちしながら育ててくれました。やがて私も高校生になる頃からは、少しずつ話せるようになってきました。

 高校を卒業して社会に出る前、母は私に、それまでのことをみんな話してくれました。出産のこと、障害のこと、学校でのこと。すべてのことを聞いた時、私はショックで何とも言えない気持ちでした。

 母に対しては、私を必死で育ててくれた感謝はありましたけれど、恨みのような気持ちもありました。なぜ自分はこの世に生まれてきたのか、という戸惑いと怒り、皆に迷惑をかけてきたという思いなど、いろいろな気持ちが心の中で交錯しました。

 それからは、私のことを知っている人がいる社会の中で生きていくのが堪らなくなり、自分の生きる場所はどこにあるのだろうと、人生に行き詰まってしまいました。それで選んだのが、自殺という選択でした。

 当時住んでいた家の近くの森で、大きな木の枝に首を吊って、死のうとしました。しかし、それは失敗でした。一度しくじると、今度は死ぬのが怖くなって、どうしようもなく苦しい時を過ごしました。

(2017年 埼玉県在住)