金 明男
聞き手:藤井 資啓

 カナダ在住の韓国人、金明男(キム ミョンナム)さんは、日本で原始福音の信仰を学びたいと、奥さんのセシリアさんと共に来日されました。3カ月の間、長崎、熊本、東京の幕屋に滞在された金さんに、原始福音の信仰に触れた経緯や現在のお気持ちを伺いました。

藤井資啓 初めにお伺いしたいのですが、金さんはどのようにして幕屋を知るようになられたのですか。

金明男 それは、『生命の光』誌との出合いを通してです。

金さんと奥さんのセシリアさん

 私はカナダのバンクーバーに住んでいますが、そこに日本食品の店があります。そこで買い物をして店を出る時、出口に自由に取っていい雑誌が何冊も置いてありました。その中に「生命之光」と題字が筆で書かれた1冊に目が留まって、「面白いな、これは何の本かな」と思って、家に持って帰りました。それが、今から10年前のことです。

 その頃私は日本語が読めなかったので、そのままにしていましたが、ある日、その雑誌を開けてみました。私の世代の韓国人は、まだ漢字が読めます。それで、最初の頁にあった手島郁郎先生の講話を、漢字だけを繋げながら読みましたら、半分以上は意味がわかりました。その時、私は雷に打たれたように、「ああ、これが本当のキリスト教だ!」と感じたんです。

 実は私は、大学生の頃から宗教のことで疑問をもっていました。教会やお寺にも行き、本も読みました。でも、キリスト教も仏教も、それぞれ自分の壁を作っていて、他の宗教や宗派を敵のように考えている。時には異端だと言ったり、また宗教同士で戦争にまでなる。どうして自分だけの狭い考え方をするのだろうと思っていました。特に韓国人はそれが激しいのです。それは私の悩みでした。

 たとえば私が読んだ本に、韓国の仏教のお坊さんになったアメリカ人の話がありました。地下鉄の中で座っていると、韓国人の伝道師が来て、「イエス様を信じなさい。イエス様を信じなかったら地獄に行きます。イエス様を信じたら天国に行きます」と唱えながら歩いていた。そしてそのお坊さんに近寄っていって、「おまえはサタンだ!」と言ったのです。

 それを読んだ時、こんなのは本当のキリスト教じゃないと思いました。本当のキリスト教なら、そのお坊さんの前に頭を下げて挨拶すればいいだけなのです。

 ところが『生命の光』を読んだ時、そんな偏狭な宗教でなく、ここにはもっと宗教の根本が示されている、と感じて、私の悩みが一瞬にして解けました。その時から、この信仰を学びたいと思ったのです。

歩むべき道を発見して

藤井 そのような思いをもっておられた金さんは、これまでどのような人生を歩んでこられたのですか。

 私は大学卒業後、しばらく学校で歴史の教師をしていました。やがてそれを辞め、学校経営、ホテル経営、建築業など、何種類ものビジネスを手がけている大会社に勤めるようになりました。その会社のある部門の経営責任者をしていたこともあります。

 その頃(1970年代)の韓国では、多くの勤め人は、朝、星を見ながら会社に行き、夜、星を見ながら家に帰ってくるというように、私も必死で働いた時代でした。30年勤めてその会社を辞めた後、しばらくアメリカで衣料品の輸出入の仕事をしていました。

 やがてリタイアした後、カナダの大学を卒業した長男がバンクーバーで州政府の公務員になっていたので、そこに家族で移り住みました。そこで『生命の光』と出合ったのです。それは、「死ぬまで私が歩むべき道はこれだ!」と確信したほどの出合いでした。この出合いがなかったら、老後を自分の好きなように空しく過ごすことで、私の人生は終わっていたと思います。

愛が生きている場

藤井 初めてバンクーバー幕屋を訪ねた時は、どんな印象でしたか。

 『生命の光』の最後の方の頁にバンクーバー幕屋の住所と電話番号が書いてありました。それで早速電話をかけました。そして、「そちらに行きたいのですが」と尋ねましたら、「ウェルカム!」と言って快く迎えてくださいました。その時の電話の声は、まるで天使の声のようでしたね。

 そして、初めて幕屋の集会に出た時、宗教とか信仰とか、言葉の説明でなく、その場に満ちていた愛を感じました。今、世の中は皆忙しくて、自分のことばかり考えていて、他人のことには無関心です。しかし、20人ほどのバンクーバー幕屋では、一人ひとりから、何とも言えない愛が伝わってきました。

 私は知らず知らず、その愛の中に引き込まれていきました。初めは、幕屋についてわからないことばかりでしたが、はっきりとわかったのは、ここには愛が生きている、間違いない、ということでした。

 アメリカやカナダでは、知らない人を訪ねていくのは難しいんですね。皆、銃を持って、いつも警戒しています。ノックして入っても緊張するんです。しかし、バンクーバー幕屋の雰囲気には、緊張感を覚えなかったんです。100パーセント、オープンでした。「愛とはこういうことなのか」と。私は長い間教会に行っていましたが、初めてそのように感じる経験をしました。

 そして、それから幕屋に行って祈れば祈るほど、嬉しくなりました。上を見上げながら、神様の目と、私の目を合わせて祈っていると、自然に涙が出てくるんですね。神様が、私をこういう所に導いてくださったと思うと、なんと幸せだろうかと感謝が湧きます。

最も強いものは聖霊の愛

藤井 幕屋に集うようになって、金さんの人生はどのように変わりましたか。

 変わったのは、家内や子供たちとの関係です。それまでは、家族は90パーセント私の考えどおりに従ってくるようにしていました。それは、私が育ってきた時代や環境もあるかと思います。また会社でも、いつも自分の部下にそのようにしていました。

 それまで家では私がいちばん力をもっているし、私の考えが正しいと思っていました。それで息子たちともトラブルが絶えず、またどれほど家内も苦労してきたか。いつも黙ってついてきてくれましたけどね。

 しかし幕屋の信仰に触れて、私は家内や子供たちの考えを、受け入れることができるようになりました。それまでは、自分だけが正しいと思っていましたし、それで自分は幸せだと思っていたのです。でもそれは、本当の幸せでなかったことに気がつきました。

 自分が正しいと思っていたことに、私自身が束縛され、奴隷になっていたのです。それは私の自我でした。そして、それは自分の力では解決できなかったですね。でも神様の生命に触れ、聖霊の愛の中に生かされるときに、少しずつ私の心が転換されていきました。

 それで今、解放されてフリーに、自由になりました。私が自由になったら、家庭の雰囲気がすっかり変わりましたね。

 聖霊の愛、聖霊の喜びは、人が外から見たら弱いもののように思えるかもしれません。しかし本当は強いものですね。私のような人間を変える力がありましたからね。はっきりわかったのは、この世で最も強いのは、この聖霊の愛だということです。

 とにかく理屈でなく、幕屋に行きたいという気持ちが湧いてくるんです。そこに聖霊の愛がある。だから日曜日には必ず幕屋に行きます。そこに行けば、喜びが満ち溢れる愛の雰囲気の中に入れるのです。

藤井 『生命の光』を読むことで日本語を学んでいると言われる金さんは、年を取ってから学んだとは思えない上手な日本語で、質問に答えてくださいました。

 それは生命に渇いて、本物の信仰を何とか得たい、という熱い信仰の求めからでしょう。しかし、言葉で信仰を理解する以上に、金さんは、魂で聖霊の愛を感じ取られたのだと思いました。

(2018年 カナダ在住)