川村 一三(いちぞう)

 「お父さん、頭が痛い!」と、突然、家内の愛子が声を上げました。これは大変だと思って、急いで救急車を呼んで横須賀の病院に向かいました。

 原因は脳内出血で、その時から家内は、目は見えない、耳は聞こえない、口はきけない、体は動かないという状態になってしまいました。「お父さん、頭が痛い」と言った言葉が、家内から聞いた最後の言葉となったのです。それは今から14年前、家内が65歳の時のことでした。

 それ以来、3カ月ごとに病院を転々とする生活が始まりました。新しい病院に移るたびに家内は泣くんですね。動けない体を移動させるので、痛いこともあるでしょうし、知らない所へ行く不安もあるのでしょう。(いやだ、いやだ!)と、声には出ないのですが、家内の表情がその気持ちを訴えていました。私は、「そう言わずに、これからお世話になるんだから、我慢しろよ」と、言って聞かせるのが精いっぱいでした。

投函されていた『生命の光』

 そんな何年かが過ぎたある日、わが家の玄関のポストに、『生命の光』という薄い1冊の雑誌が入っていました。宗教とは縁のない私でしたから、パラパラと頁をめくって読んでみても、「ああ、こういう本があるんだな」と思ったくらいで、イエス・キリストといわれても、よくわかりませんでした。

 ところが翌月も、またその翌月も、その雑誌がポストに入っています。なぜ私のところにこんな本が来るのかなと思っていました。後で知ったことですが、私と同じ地区に住む幕屋の方が、私のところに投函していてくださったのでした。

 ある時、その雑誌の中に、手島郁郎という人の映画の上映会がある、という案内状が一緒に入っていました。病気で寝たきりの家内を抱え、入院費を賄うために定年後もアルバイトをしていた私は、その時、藁(わら)にもすがる思いでいましたから、「一度ここに行ってみようかな」と思ったのです。それでとりあえず、上映会に行ってみました。

 映画を観て、私が特に変わったわけではありませんでした。でもこの上映会をきっかけに、幕屋の方々との交わりが始まりました。

 私の住んでいる横須賀でも、幕屋の方のお宅で家庭集会が開かれていました。その頃の私といえば、「一度、神様に頼んでみるかな」といった、そんな気持ちで幕屋の集会に出るような者でした。

「今がそうだよ」

 そのうちに、幕屋の方々が私の家内のことを知って、病院に見舞いに来てくださるようになりました。そして訪ねてくるたびに、ベッドのそばで家内のために祈ってくださいました。

 すると、次第に家内の表情に、それまで見たことのない変化が表れてきたんです。心が癒やされるというのでしょうか、顔がにこやかになってゆくんです。以前とは明らかに違った顔になってゆく家内を見て、確かに神様はおられるんだなと思いました。

 ただ私自身には、幕屋の集会に出ても、なかなか心の変化が起こりません。集会では、聖霊を受けて人生が変わった喜びや、祈りの中で神様にお出会いした回心の話を何度も聞くのですが、私自身にはそういった体験が一向にないまま年数が過ぎてゆきました。

 昨年(2016年)のことです。私はアメリカのシカゴで開かれた北米幕屋の夏期聖会に参加しました。それは、以前知り合ったアメリカ幕屋の友人との再会も、目的の1つとしてあったからです。

 聖会は、シカゴのある大学の大きな会場で行なわれ、私はいちばん後ろの席に座っていました。聖書の話が終わり、全員で祈りはじめました。私は何か堪らない思いで、「神様、どうして私には回心が起きないのでしょう」と心の中で叫んでいました。

 するとその時、空からスーッと降りてくるようにして、キリストが私の目の前に現れられたのです。しかもなんと、家内の愛子がキリストと一緒に現れました。

 私が、「なぜ私には回心が授けられないのですか」と言うと、キリストは、「今がそうだよ」と言われたのです。その途端、私の目から涙がワーッと溢れ出しました。もう涙、涙で、ただ「ありがとうございます」と言って、手を合わせて祈りつづけました。

 嬉しくて嬉しくて、集会後、同室の人にそのことを話したら、「川村さん、それは回心ですよ!」と共に喜んでくださいました。

大切なものとの出会い

 アメリカから帰国して、家内に会いに行きました。「シカゴで神様に出会ったよ!」と話すと、家内は、(よかったわね!)と、今にも手を取って一緒に飛び上がって喜んでくれそうに、私には感じられました。私も、「おまえは神様と一緒に暮らさせてもらっているんだね。ほんとうに幸せ者だね」と話したことです。

 幕屋の方たちと出会う前は、辛い、悲しい表情だった家内ですが、今では神様と一緒に、天国の花園の中で遊んでいるように感じられます。実際は体が動かずに、ベッドの中でじっとしているんですが、さも楽しい時間を過ごしているような顔をしています。

 倒れてから14年経ち、医者からは家内の余命はそんなに長くないと言われています。肉体的にはすべてのものを取り去られた家内です。けれども、彼女の魂は最も大切なものと出会って、地上の最後の時を迎えているかと思うと、ありがたくてなりません。

 かつては、このような状況が続くのであれば、家内のためにも私にとっても、家内は早く天に帰ってくれたほうがいいと思ってしまう時さえありました。しかし今は、家内の病があったからこそ、家内も私も幕屋に導かれ、キリストの神様にお出会いすることができたことに、感謝が溢れてなりません。

(2017年 横須賀市在住)