加藤 かよ

 明治の末から大正時代にかけて、キリストの伝道に生き、またたくさんの優れた詩を書き残した山村暮鳥(やまむら ぼちょう)という人がいます。

おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平(いはきたひら)の方までゆくんか

 この詩は教科書にも載っていたので、よく知られていると思います。

 暮鳥さんは、東北の各地や水戸で伝道しましたが、結核になったために住むところもなくなり、大正9年(1920年)頃に、私の実家のあった大洗に来ました。

 大洗は水戸から12キロほど南東の漁師の町で、私の家は小さな網元というか船主でした。父(小沼晴嗣)は、近所に困った人がいると自分の敷地に住まわせ、漁師として雇い、生活を共にしていました。

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 そんな父が、奥さんと幼い2人の娘さんを連れて、行くあてのない暮鳥さん一家を見た時に、自分の家の隠居所だったところに住めるようにして、面倒を見たんですね。

 父は信心深い人ではありましたが、特にキリスト教の信仰があったわけでもなく、山村暮鳥という人が偉い詩人だということも知りませんでした。それでも、暮鳥さんが40歳で亡くなられるまでの約5年間、心を込めてお世話をしました。

 当時、わが家の皆が暮鳥さん一家を家族のように思っていました。それで、その頃生まれていなかった私も、子供の時から暮鳥さんたちに特別な思いを抱いてきました。私より10歳ほど年上の姉は、暮鳥さんの娘さんと仲良しで、一緒に過ごした当時のことを、次のように詠んでいます。

肺を病む暮鳥に冷たき世間の目
父はひたすら世話に励みき

今日は不漁そつと我が手に鰈(かれい)一尾
暮鳥宅へと父は持たせぬ

おわします神を信ずる縁(えにし)かも
暮鳥と父のくすしき出会い

 漁師は海が荒れれば食べられなくなります。向こう三軒両隣、みな助け合って生きていました。そんな温かい人情の土地柄に心惹かれたのか、暮鳥さんは大洗で最後の日々を過ごされました。

 そして、漁師たちの姿や心に身近で触れた気持ちを、「老漁夫の詩」という詩に残しました。

漁夫は海を愛してゐる
いまも此の生きてゐる海を……
じつと目を据ゑ
海をながめてつつ立つた一人の漁夫
此のたくましさはよ
海一ぱいか
海いつぱい
否、海よりも大きい
なんといふすばらしさであらう
此のすばらしさを人間にみる
おお海よ
自分はほんとの人間をみた……

 私はこの詩を読むたびに、無口で人情に厚かった父のことを思い起こします。暮鳥さんが亡くなられた時には、父が荷車を引いて亡骸(なきがら)を運び、野辺送りをしたと聞いています。