伊藤 正明

 昨年(2017年)の暮れに、私は建国70年を迎えるイスラエルを訪れました。

 12月6日、イスラエルに着いた日に、トランプ米大統領によるエルサレム首都宣言と、米大使館のエルサレム移転のニュースがあり、驚きました。

 日本の報道では、「紛争を激化する暴挙」と批判一色です。しかし現地の新聞では、ちょうど100年前に英国がユダヤ人国家建設を支持した「バルフォア宣言」と併記して、「トランプ宣言」と書いてあるものもあり、歴史的な一歩であると受け止められていました。

 この米大統領宣言について、幕屋の友であり新聞の編集者でもあるラビ・エルハナン・ニールさんと話していると、次のように言われました。

ニール 建国70年を迎えるこの時に、エルサレム首都宣言は大きなプレゼントです。それと同時に、私たちに「エルサレムとは何か」という問いを生みました。それに答えなければなりません。私たち自身がハッキリしなければ、他の国々ではもっとわからないでしょう。私たちがほんとうに理解できれば、アラブ諸国も耳を傾けることでしょう。

 確かに、エルサレムが紛争の地となる理由は、政治的な問題以上に、ユダヤ教、キリスト教、回教にとって聖地であるという、宗教的な問題が大きくあります。

 諸宗教に開かれた祈りの聖地・信仰の都として、どうあったらよいのか。お会いした人たちがひとしく、責任を感じ、神の御旨を仰ぐ真摯(しんし)な心でおられました。その点が解決すれば、きっとよき未来につながるに違いありません。

イスラエルが存在する意味

 さらに、イスラエル建国の意義について、若い30代のニールさんはどう思っているのか、お聞きしてみると、次のような答えが返ってきました。

ニール 私たちユダヤ民族は、世界人口の0.3パーセントにも満たない数しかいません。それなのに、ノーベル賞受賞者の22パーセントがユダヤ人です。こんな民族は他にありません。しかし、それが私たちの存在する意味だろうか、と思うのです。

 この70年間、私たちは周囲を敵に囲まれ、生存することで精いっぱいでした。しかし国が整ってきた今、「イスラエルは何のために存在するのか」という問いがあります。

 聖書には、神様が私たちの父祖アブラハムを選ばれた理由について、「彼が後の子らと家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公道とを行わせるためである」(創世記18章19節)と書いてあります。神の道を守り、正義と公道を行なう国のモデルになること、これが私たちの使命だということです。

 どうしたら世界が倫理的に引き上げられるか。この世から悲しみがなくなり、虐殺がなくなり、神の前に立つ真実な心が生まれるか。そのために、私たちは神に目を留められ、歴史を導かれてきました。この神の目的が成るのは、簡単なことではありません。

 しかし、私たちが聖書の信仰を実際に生きなければ、存在意義はありません。これは、真剣な問いです。

 荒地と砂漠を開拓しながら始まったイスラエルの建国ですが、今や国家として成功し、経済的にも軍事的にも自信をもち、とても豊かになっています。

 そんな社会の中で、精神性の喪失を嘆く声が多く聞かれた反面、ニールさんのように、民族の古典である聖書をひもときながら、自らの使命を探求している若い人々がいることを知りました。その声を聞きながら、イスラエルは今、聖書の民としての内面的な建国が始まっているのを、私は感じました。

 聖書は本来、個人の救いだけではなく、民族の救いと使命を訴える書です。今回の訪問では、改めて聖書を読む意味を考えさせられ、自分自身についての問いが湧いてきました。

 日本の存在意義は何なのか。日本が世界に貢献すべき、民族固有の使命は何か。神様の願われる使命を生きる私たちでありたい。そのことを祈りながら帰る旅となりました。

(2018年 大阪府在住)