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石橋 優子

 アメリカにいることを忘れてしまうほど、日本風の心温まるおもてなしと、思わず舌鼓を打つ和食を味わえるのがレストラン「いづみ」。アメリカ北西部の緑豊かな大都市・シアトル郊外に店を構えて今年(2015年)で30年です。今日は、この店に初期の頃から勤めて、今はおかみをしておられる石橋優子さんに、神様との出会いから語っていただきました。
(編集部)

 私は子供の頃すごくおてんばで、小学校1年生の時に東京オリンピックの影響もあって、公園で鉄棒の練習をしていました。その時、誤って鉄棒から落ちてしまったんです。下はコンクリートで、そこに頭を思い切りぶつけてしまい、パックリとおでこが開いてしまいました。

 担がれて病院に行きましたが、傷口が12センチもあるような大ケガでした。お医者さんからは、「もう少し強くぶつけていたら即死だった。今晩が峠です」と告げられるほどの重体でした。

 一命は取り留めたものの、その後ケガの影響で、てんかんの症状が出るようになりました。そのため学校をよく休むので勉強についてゆけません。そんなことから登下校の時に、「優子はバカだ」ってからかわれて、石を投げられ、いじめられるんです。それで学校に行く時は、いつも傘を持って歩いていました。石が飛んできたら、傘をパッと広げて身を守るんです。

 ずっとてんかんの薬を服用していましたが、5年生の頃には、副作用で頭が痛くて痛くてどうしようもなくなりました。病院に行くと、「脳が腫れ上がっていて、もうどうすることもできない」と言われたんです。

 当時、私の家族は東京の目黒に住んでいましたが、近所の方に導かれて、母は近くの幕屋の家庭集会に行っていました。私も何度か一緒に出ていましたけれども、母はお医者さんから聞いた言葉に私の死も覚悟して、「今日が優子の最後になるかもしれない」と思って出たのが、手島郁郎先生の集会でした。

(2015年)