今村 千鶴子

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 私たち夫婦が転勤で大阪に移った時、末っ子の派博(はばく)はせっかくいい高校に入ることができたので、東京に残ることになりました。当時、仕事の都合で私たち夫婦は転居することが多く、派博は中学生の初めの頃から数人の若者と一緒に、寮のようにして幕屋の方のお世話になっていたのです。

 その1週間後、派博が海で泳いでいて、心臓マヒで亡くなったと、突然連絡を受けました。引っ越しの荷物もまだ解いていないほどの慌ただしさの中、私たちは喪服を引っ張り出して、現場に駆けつけました。

 ニッコリ優しく微笑んでいて、生きているんじゃないかと、もう一ぺんお棺の蓋を取ってみたくなるようなわが子を、火葬で送りました。

 母親の私にとって、申し分のない子でした。可愛いし、優しくて、でも芯が強い。そして中高生ながらに、賛美歌をうたい、聖書を読んでは、涙を流して祈っていました。「この子は、神様に捧げる子だ」、そう夫が言ったことがありました。東京に置いてきて、たった1週間、まさか、このような形でお捧げすることになろうとは……。

 息子を海に連れていってくださった方は憔悴しきっておられました。けれど、「派博君が天に駆け昇ってゆく夢をはっきり見たんです」とおっしゃいました。

 同年代の幕屋の友達は大きく心を動かされ、それからずっと派博の遺影を机に置き、「彼の分も、恥ずかしくない生き方をしよう」と励みにしてきたそうです。

(2016年 浜田市在住)