池田 眞

 今から五十数年前、私が中学生だった時、幕屋の若い伝道者に出会いました。聖書の国イスラエルから、留学を終えて帰国したばかりでした。まだ、今のように海外が身近ではなかった頃です。その方は、「君たちみんなをイスラエルに送ってあげるよ」と、私たち若者に夢を湧かせてくださいました。

 私は現在、会社経営の傍ら、「日本イスラエル親善協会」の代表理事・副会長を務めていますが、イスラエルと係わるようになったのはそれがきっかけでした。

恐ろしいほど聖なる場

シナイ山頂に集う幕屋イスラエル留学生

 当時の中高生はその後、何人もイスラエルに行きました。私も高校卒業後に行ったのです。着いてみると、いろいろとびっくりしました。私よりも若い高校生たちがとてもしっかりしていて、愛国心に富み、政治に関心をもつ姿も真剣そのもので、刺激を受けました。

 旧約聖書の言葉ヘブライ語を学び、聖書の舞台を巡る感動の日々。イエスが伝道されたガリラヤ湖畔で祈っていたら、「やがて日本とイスラエルとの架け橋になる!」というビジョンが湧いてきました。

 そして、エルサレムにあるヘブライ大学で、聖書学などを学びました。でも、家からの仕送りはあまり望めません。私は学費を稼ぐためのアルバイトに追われ、単位が取れず行き詰まりました。

 そんな時、モーセが神に出会ったというシナイ山で、幕屋のイスラエル留学生の聖会がありました。山頂で聖別会をしましたが、皆の前で決意を語ろうとしても、これは神様の御前だ、という厳粛な雰囲気が覆っていて、生半可な気持ちでは語れません。恐ろしいほど聖なる場でした。

 でも、そこで祈ったら、すごい喜びが湧いてきました。それが力と確信となって、私は「イスラエルの観光大臣に直談判して、政府公認ガイドの養成学校に入れてもらうんだ!」という、とんでもない願いを起こしました。大学では行き詰まっていたけれど、アルバイトで日本人巡礼者のガイドの通訳をしているうちに、こういう日本とイスラエルとの架け橋もあるのではないか、と思ったのです。

 観光省に行ってみたら、大臣には会えませんでしたが、人事部長が会ってくださいました。「これから、日本人の旅行者は必ず増える。将来のために、今、私たちに投資するべきだ。2年間のガイド養成学校に、学費免除で通わせてほしい」。そんな無茶なお願いを、不十分なヘブライ語で話したところ、真剣に聞いてくださり、なんと許可が下りたんです。

 私は、日本人第1号の政府公認ガイドになりました。

魅力を伝えると

 日本から来る方々を、聖書中の出来事が起こった、まさにその場所にお連れすると、とても感動されます。でもそれだけでなく、現代のイスラエルについても伝えました。一度は国を失ったユダヤ人が、世界の各地に散り散りになりながらも民族の故郷を慕いつづけ、ついに2000年ぶりに国を回復した奇跡の現実。また、不毛な荒野を緑の野に変えていく、不可能をも可能にするたくましい姿。

 私自身が実際に触れて知っているイスラエルの姿、その素晴らしさを心燃やして語ると、皆さん、この国の魅力に惹(ひ)き付けられていきました。

 ペンシルロケットの開発で有名な、日本の宇宙開発の父・糸川英夫博士も、ご案内したお1人です。すっかりイスラエルに惚れ込んでしまわれ、それから多くの人を連れて、何度も訪れられました。

 日本と同様に資源の少ないイスラエルが、逆境をチャンスととらえて、次々とアイデアを生み出していること。また、世界に貢献することを考え、実行している姿勢。ご自身、『逆転の発想』というベストセラーを世に出されている博士は、日本はイスラエルに学ぶべきだと、自費で日本とイスラエルの研究機関を結びつける活動をされ、私はそのお手伝いをしました。

 糸川博士は、「ユダヤ人は人間としてあるべき姿を、聖書をもって伝えてきた。残念ながら日本人は失っているけれど、それを教えるのは宗教だ」と、私たちに何度も言われました。

信仰をもつ者として

 私はイスラエルに12年間滞在して、やがて日本に帰国しましたが、その後も旅行業や貿易など、ずっとイスラエルに係わる仕事をしてきました。

 そして、今いる商社で10年ほど勤めたある日、社長が急逝されました。残された者は誰も経営の経験はありません。でも不況のさなか、共に働く皆が路頭に迷うと思うと、堪らない気持ちが押し寄せます。

 また、社長に生前『生命の光』をお渡ししていましたが、亡くなられた後で、私が信仰をもっていることをうらやましく思っておられた、と知りました。私は、信仰をもつ者の生き方として、こういうときにどうしたらいいのだろうか、と自問しました。

 会社のこれからを決める会議の前日、幕屋の集会で聖書講義を聴きました。その中で、極限のような状況でこそ、コツというものは掴むことができる、せっぱ詰まって神に叫んで祈る以外にないところから、信仰の突破、より高い境地に至る道は開かれるのだ、という話がありました。そして、

わがたましいを 愛するイエスよ
なみはさかまき かぜふきあれて
しずむばかりの この身をまもり
天(あめ)のみなとに みちびきたまえ

と賛美歌をうたい、キリストにすがって祈りました。

 それで腹が決まりました。これは、神様が私に、自分で実際にやってみて、天の導きを乞うて祈って進むようにと示してくださったのだ、と。

 その翌日、私は役員でも何でもありませんでしたが、会社を引き継ぐことを引き受けました。火中の栗を拾う覚悟でしたが、蓋を開けてみると大変な負債があって、とても経営の素人の私にどうにかできる状態ではありません。眠れない日が続きました。もうだめだと何度思ったかしれません。

 そのさなか、私は幕屋のイスラエル巡礼団に参加しました。訪れる各地で会社の祝福を求めて必死に祈りましたが、巡礼団を覆う神様の生命の中で、それがいつしか、喜びの祈りになっていました。

 そして、イスラエルの取引先の社長に面会したら、私たちの要望を受け入れて助けてくれることになりました。また帰国すると、取引銀行の支店長が不意にやって来られ、思いがけず融資を引き受けてくれました。

感謝が原動力

 祈りによって力と慰めを受け、そして喜びが湧き上がる中で神様は、沈むばかりのこの身を何度も守ってくださいました。そして、イスラエルとの取引を続けてくるうちに、いろいろな助け手が次々に現れて人脈が広がり、会社の経営も祝福されて今があります。このようにして、聖書の信仰に支えられてきました。

 18歳の時の、日本とイスラエルとの架け橋になる、という夢。それが、50年以上にわたって、一貫してイスラエルと係わってきた私をあらしめていると思うと、感謝ですね。そして、聖書の民イスラエルの方々に愛され、ほんとうに助けられてきました。その感謝が、私の原動力となっています。

(2018年 川崎市在住)