市村 俊和

 昨夏(2017年)、かつてスウェーデンで合気道を教えた弟子たちから、合気道会50周年の記念式典への招待状が届きました。招きに応じてスウェーデンに行くと、なんと私は、「伝説の男」になっていたんです。現地の新聞やテレビでも取り上げられ、自分でも驚きました。

「伝説の男は生きていた!」と報じる現地紙

合気道に明け暮れた青春時代

 私は学生時代から、合気道一筋で生きてきました。朝から晩まで稽古に励み、合気道漬けの日々でした。そして大学卒業後、恩師からヨーロッパに合気道の普及に行くように勧められ、その頃まだ日本人の指導者がいなかったスウェーデンに、単身で行きました。

 当初は2カ所の小さい道場だけでしたが、10年間、懸命に指導しましたら、弟子がどんどん増えていきました。やがて、フィンランド、デンマーク、ポーランドの諸国を指導して回るようになったんです。そして、現地の女性と結婚して、子供も2人授かりました。

 ところが、私が北欧じゅうを駆け巡りながら必死で指導に当たれば当たるほど、妻とのすれ違いが多くなり、やがて離婚してしまいました。子供たちは妻に引き取られ、会えない状態になりました。それは私にとって大きな挫折でした。その辛い思いを紛らわそうと、前にも増して懸命に合気道に打ち込みました。

 合気道は本来、天の消息を技として伝えるもので、学べば学ぶほど戦わない人となる、という姿を目指しています。ですが、海外で武道を伝えていくためには、とにかく強くなくてはなりません。道場破りが毎日のようにやって来ます。評判の悪いレスラーやボクサー崩れの連中と戦って、勝たなければならないんです。負けたら師範としての地位を失います。

 ですから、外向きには常に、「俺は強い!」ということを示さなければならない。でも内心では、明日はどんな手強い奴が来るかと、恐れおののいていたのが私でした。私の心は荒(すさ)び、殺気だった雰囲気を醸し出していたと思います。

これこそ求めていた世界

 そんな殺伐とした心の私に、1冊の『生命の光』が送られてきました。それを開いて読んだら、「ああ、これこそ私の求めていた世界だ!」と直感して、涙が溢れてならなかったんですね。それで、その年に日本で開かれた幕屋の聖会に参加しました。

 初めての聖会でしたが、私は無我夢中で祈っていました。その時、どなたかが私の頭に手を按(お)いて祈ってくださったんです。するとその瞬間、何万ボルトもの電気が身体を走ったように感じて、「神様!」と腹から叫んでいました。祈りが終わっても、嬉しくて嬉しくて、思わず周りの皆さんに抱きついていました。それは、それまでの合気道人生では味わったことのない喜びでした。

 キリストの生命に触れると不思議です。「神様、教えてください」と祈りつつ稽古をすると、合気道の新しい技が、次々と噴き出すように生まれるんです。それを弟子たちも喜んで真似しました。その時に生まれた技は、世界じゅうに普及しています。

 でも私は、「私の内側に働いている力は自分の力ではない。キリストから来るものだ」と痛切に感じていました。「もっとキリストの生命を受けて生きたい」という思い黙(もだ)し難く、ちょうどその頃日本から訪ねてこられた幕屋の伝道者に、その思いを打ち明けました。

 すると、「それなら、日本においでなさい」と言われました。その言葉は神の言葉だと信じて、合気道もスウェーデンの生活も、一切を置いて帰国しました。

かけがえのない30年を通って

 それまで武道の世界しか知らなかった私です。就職してもすぐケンカしてしまい長続きせず、会社を転々とし、うまくいかないこともありました。でも、同じ信仰をもつ伴侶を与えられて、助けられ、共に祈りながら、神戸で整体治療院を開きました。

 合気道は、姿勢や手の使い方など、整体に通じる面が多く、大変役に立ちました。またそれだけでなく、キリストの聖霊を受けると、患者さんにも愛が湧いて、どこに何をしてあげたらいいのかが明確に示されるんです。すると、不思議に癒やされるんですね。

 またそうやって祈りながら治療していると、患者さんが心の悩みなども話されます。不眠症の人が、「ここに来ると、必ず眠れます」と喜ばれたり、不慮の事故で息子さんを失った方は、「息子が笑顔で夢に現れてくれたよ!」と語られます。そういう声を聞くと、キリストがこの治療院を天の生命で覆ってくださっているのを感じます。ほんとうに神様が豊かに導いてくださった、かけがえのない30年間でした。

 その間、合気道に携わることはありませんでした。でも、彼の地で生き別れになった子供たちのこと、置いてきてしまった弟子たちのことは、いつも心の底にありました。誰にも話せませんでしたが、彼らのことを思うと、疼(うず)くような思いが消えなかったです。

キリストの憐れみに泣く

 ところが昨年、「スウェーデンに『生命の光』の読者がいますから、一緒に訪ねませんか?」と友人から声をかけられました。それと同時に、スウェーデンの弟子たちから、「合気道会50周年の記念式典においでください」と、夫婦で招待されたんですね。それで、『生命の光』の読者を訪ね、各地の道場も訪ねました。

 彼の地では、現地のメディアが取材に来て、テレビ番組や新聞の記事に、「伝説の男は生きていた!」と私のことが取り上げられたんです。

 そして記念式典は、スウェーデンの王室が用いる宮殿で行なわれ、そこで皆さんがタキシード姿で私たちを迎えてくださいました。主賓の私たちだけが何も知らず、着の身着のままだったんです。でもスピーチを求められ、私は弟子たちに話しました。

 「皆さんは、合気道と人生に理想をもっていますね。天にその理想を描いてください。どうか天を仰いでください。天は願いと祈りのあるところに、必ず応えたまいます。私も導かれたんです!」と。

 いろいろな宗教の方がいますので、「キリスト」を「天」という言葉に言い換えて、私がここまで導かれてきた感謝を語りました。

 すると、クラブの会長はわかっておられて、「市村先生、あなたのキリストの証しは素晴らしかった! あなたがそのような深い信仰をもっておられると知ることができて嬉しい」と、挨拶に来られたんです。

 またその場には、私には知らせずに私の子供たちも招かれていました。その子たちと一緒に生活できず、親として何もしてやれなかったダメな父親です。でもそんな私のために、彼らは来てくれたんですね。彼らを抱きしめると、私は号泣してしまいました。子供たちも泣いていました。

 離れ離れになっていた子供たちに再会させてくださり、弟子たちに自分の贖われた人生も証しさせてくださった。それは、ただキリストの憐れみによる以外の何ものでもない、もったいないひと時でした。

 合気道に生きた「伝説の男」は死にました。しかし、キリストの証人として生まれ変わったんです。今の私の祈りは、私の贖いの地であるスウェーデンに、原始福音の生命と喜びが伝わることです。

 そんな祈りを込めて、今日も彼の地にいる本誌の読者や弟子たちにメールを書いています。

(2018年 神戸市在住)