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堀 明

 日本が先の大戦で負けてから、今年(2015年)で70年を数えます。当時19歳だった私は、広島県・江田島にある海軍兵学校で天皇陛下の玉音放送をお聴きしました。

 放送をハッキリ聴き取ることができず、「ああ、これは最後の一戦をやれという命令だ」というふうに私たちは受け取ったですね。次の行動に移るまで分隊室で待機していると、「日本が負けた!」と通信隊から聞いた同僚が飛び込んできました。「神国日本が負けることなどありえない!」。岸壁に立ち、悠々と飛び回る米軍機を見て、無念の涙に明け暮れました。

 復員で石炭貨車に乗って愛知県・岡崎まで帰りましたら、姉が駅に迎えにきていました。広島からずっと、市街地は焼け野原で、どこもかしこもやられっ放し。そういう所を見ながら帰ってきた時に、私は思わず、「姉さん、生きて帰ってごめん」と言いました。そういう言葉を最初に発しようと思っていたわけではないけれど、それがあの時分の私たちの生き様なんですね。

 中学校の同級生には予科練生で殉職した者もいるし、兵学校の教官や上級生も何人か亡くなられていて、生きているのがほんとうに申し訳なかった。おいおい泣きながら、負けたのは私の責任だ、と思いました。

(2015年 愛知県豊山町在住)