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畑瀬 牧人(まきと)

 私の兄は優秀で、国立の大学を卒業し、一部上場の商社に入って出世コースを歩んでいます。それに比べて私は、ろくに勉強もせずに、大阪で過ごした高校時代は、好きなラグビーばかりしていました。

 そんな私が20歳の時にイスラエルへ留学しました。幕屋の信仰をもつ家庭に育った私は、手島郁郎先生が、「月では月の法則が働くように、聖地では聖なる法則が働いて、人は変われる」と言われている言葉に希望を覚え、自分も変わりたい、と思ったからです。

 聖地では、不可能と思えることに挑戦しようと思い、勉強の苦手な私ですが、世界的にレベルが高いエルサレムのヘブライ大学で聖書を学ぶことを目指しました。

 幕屋の友と祈りつつ、キブツ(共同農場)で労働しながらヘブライ語の基礎を学びました。しかし、それまで勉強をしてこなかった私は、机に向かえばすぐに眠ってしまいます。同室の友人は、寝る間も惜しんで勉強していました。隣で私が眠っているのがたまらずに、何度もたたき起こされて、私も机に向かいました。しかし、またすぐに寝てしまう。それが1カ月ほど続いてくると、自分が情けなくなりました。

 私は、夜中に外へ出て、神様に、「なぜ、優秀な兄でなく、できの悪い私がここにいるのですか」と芝生をかきむしりながら叫びました。その時、夜空には満月がかかっていました。その中に、両親から始まり、私を愛してくださった方々の顔が次々と現れてきました。そして最後に、キリストの血潮が滴るのが見えました。そこで私は、多くの祈りと、期待と、愛が自分にかけられていることを発見し、心の底から泣いて、泣き崩れました。そして、勉強をするんだ、という熱い情動が湧いてきたのです。

 まずは眠気との戦いでした。コーヒーの粉をなめながらやったけれど駄目で、いろいろ試した結果、最終的に、立って勉強するようになりました。眠ると倒れます。倒れては立ち上がりながら勉強しました。

 ヘブライ大学に入学し、聖書学科とヘブライ語学科を選んだのですが、片言しかしゃべれない者がその国の言語を専攻する大変さ。最初に提出したレポートには、「失格」の文字。とにかく、友達をたくさん作って、友達に助けられてやっと卒業できました。

(2015年 北九州市在住)