藤原 義天恩・喜子

藤原喜子 私たち家族は、カナダのアルバータ州のレスブリッジに住んでいます。今日はこうして自分の足で立ち、自分で呼吸をして、このびわ湖世界聖会に来ることができましたことを、心から感謝いたします。

突然の病

 4年前(2014年)、新潟の妙高高原で行なわれた聖会に参加しました。その会の中で火渡りをした時に、「何があっても大丈夫だ」という、嬉しい生命に覆われました。それからも、「何があっても大丈夫だ」という言葉がずっと私の中に響いていて、これから何か起こるのかしら、と思うくらいでした。

 聖会が終わり、カナダに帰る数日前から体に異変を感じました。まず片目が開かなくなりました。物も全部二重に見えます。カナダに帰り、病院に行くと、重症筋無力症という、筋肉が弱っていく病気だとわかりました。また、胸腺という所に拳大の腫瘍があって、手術をしなければならないとのことでした。

 私にはその頃、6歳と4歳、2歳になったばかりの幼い子供たちがいました。家から車で3時間かかるカルガリーの病院でしたので、隣の州のバンクーバーに住む夫の母と、日本の実家から母が来てくれ、また多くの方々の助けで入院生活を過ごしました。

 数カ月後に行なわれた手術は、腫瘍が心臓に触れていたので危険でしたけれど、大成功でした。その後は、薬を飲みながら順調に回復していると思っていました。

 けれども、発病して1年経った頃、また体調が悪くなるのを感じました。そんな時、アメリカのロサンゼルスにいる信仰の先輩が、50代の若さでがんで亡くなられた知らせが届きました。私のことを覚えて祈っていてくださった方でした。一言感謝を伝えたい、その一心で告別式に向かいました。

 ところが、病状の悪化が驚くほど早く、飛行機の中で、体に力が入らなくなり、アメリカに着いた時には、そのまま救急病院のICUに入れられました。

 お医者さんが懸命に治療してくださるのですが、日に日に体は弱り、動作のすべてが困難になりました。死の恐怖が迫り、聖書を抱いて祈りつつも、その恐れから逃れられずに毎晩泣きながら過ごしました。

藤原義天恩 喜子は生きてカナダに帰れるのだろうか、と思いました。体が衰弱しているので旅客機に乗るのは危ないし、病院もそれを許可しない。

 アメリカ側とカナダ側の医師が、何とかこの患者をカナダに帰らせたい、と何度も電話で話し合いました。また保険会社とも相談して、体調がある程度回復した段階で搬送するという方法を考えてくれました。

 そして、妻一人を運ぶために、なんとわざわざカナダから、数人の医療スタッフを乗せた飛行機を飛ばして、ロサンゼルスまで迎えにきてくれたのです。

病室での祈り

喜子 カナダに帰った時には、もうほとんど呼吸ができなくなっていました。それで人工呼吸器をつけることになりましたが、たった1分が数時間のように感じられて、生き地獄のような苦しみです。

 「神様、私は今まで何とか生きたいと願って、祈ってきましたが、もう限界です。天に帰りたいです……」と思いました。看護師に、もうこの器械を全部取ってください、と伝えました。

義天恩 病院から電話で、「奥さんは、もうこれ以上の延命処置はしなくていい、と言っている」と伝えてきました。それまでも妻のために祈ってきました。けれどもその時は、嵐の中に投げ出されたように心が騒ぎ、雪の降る中を、天に叫びながら車を飛ばしました。

 病院に着いてからも不安でした。死を見つめている妻に会うには、このままでは生命が足りないと思って、病院のチャペルに聖書を持って駆け込み、必死に祈ってから病室に向かいました。

 妻は、筋肉が働いていないので、言葉が話せない。笑うことも、泣くこともできません。その無表情な妻の手を取って、ベッドの横に跪(ひざまず)き、

 「キリストの神様、助けてください。私たちの小舟が嵐の中で沈みそうになっています」と小さな声で祈りました。そうしたら、私が13歳でキリストに初めてお出会いした時の、ありありとした実感が甦ってきたのです。そのまま御前にひれ伏し、「どうかキリストの神様、救ってください」と祈りつづけました。

喜子 ポタポタと、主人の涙が私の手に流れてきましたが、私は祈りも涙も涸(か)れ果てて、ただ主人の祈りを聞いていました。けれども次第に、主人一人の祈りではなく、多くの方々の愛と祈りを感じたのです。そして、ハッと我に返りました、「闇に呑まれるところだった。私はまだ死ねない」と。それで「最後まで御前に闘います」と、紙に大きく書いて主人に渡しました。

射し込んできた天からの光

 その数日後が聖日でした。その日は、ずっと安定しなかった首が不思議に据わり、車椅子に乗ることができたんです。その姿を見て、看護師が病院のホールにあるピアノの所に連れていってくれました。私が音楽が好きなのを知っていたんです。賛美歌の、

わがたましいを 愛するイエスよ
なみはさかまき かぜふきあれて
しずむばかりの この身をまもり
天(あめ)のみなとに みちびきたまえ

を、微かな音でしたが私のすべてを込めて弾きました。

病院でピアノを弾く喜子さん

 「神様、私の魂を愛し、導いてくださった神様、あなたはどこにおられますか。生も死も、もうあなたの御思いにお任せします。ただ、私の魂はあなたの平安の中に帰りたいだけなんです。どうか、帰らせてください」と祈りながら弾いた時でした。

 キリストの光が私の魂に射し、祈りが天に届いているのがハッキリとわかりました。神様はすべてをご存じで、ずっとそばにいてくださった……。まだ声は出せませんでしたが、嬉しくて、まるで赤子のように、全身でワーッと泣きました。

 それから、すぐに回復に向かったわけではありません。でも次の日から、ムクムクと腹の中から「今日1日だけでいいです、神様、闘魂を与えてください。どんな治療にも伴って、あなたが一緒にいてください」と、熱い祈りが込み上げてきました。

何があっても大丈夫

 それまでは、子供たちが病室に来るのを断っていました。こんなに弱って、管がいっぱいついている私の姿を見せたくないと思っていました。けれどもある日、突然、「お母さん!」と言って子供たちが病室に入ってきて、私に抱きついてきました。主人が子供たちを連れてきてくれたのです。

 身動きできない、何もできない、こんな母親でも、家で信じて待っていてくれた……、涙が溢れました。もう限界で苦しくて、子供たちを置いていこうとしていたけれど、この子たちにもう一度ご飯を作りたい、家族の喜ぶ顔が見たい、と心から思いました。

 あの日、私の魂に射し込んだキリストの光に、それからもずっと私の魂は励まされました。そして、体も徐々に回復していきました。今は家事も育児も普通にできます。何げない日常を送る喜びをかみしめつつ、神様の奇跡と御業に感謝は尽きません。

 たとえ天に召されたとしても、生かされたとしても、御手の中にある。その愛の平安を知ったことが、何より嬉しいです。今はもう何も怖いものがなくなりました。この体の中にある細胞のすべてが、神様を賛美するためにあるんですね、と感謝が湧いてなりません。

 4年前、「何があっても大丈夫」と神様が私にかけてくださった言葉は本当でした。死の淵にあっても、暗闇の中にいるようでも大丈夫なんだよと、私の中に今、強く響いてきます。

(2018年)