青木 望聖(もうせ)

 東京から盛岡の大学に進んだ時、私は英語教師を目指していた。だが、友達づきあい、スキー、アルバイト……、初めて親元を離れての生活で、いつしか勉強はそっちのけになり、目標を見失った。心配して電話をかけてくる母とは口論になった。

 ある日突然、父が訪ねてきた。どこかいい温泉はないかと言う。いろいろ調べて、名のある温泉に行った。

 脱衣所まで行くと、父はその場に体を横たえた。そして、あっという間に寝入ってしまった。起こしても起こしても、起きない。仕方なく、私は1人で湯舟につかった。上がってきても、まだ眠っている。

 父はその頃、大企業で管理職をしていた。早朝から深夜まで働き通しで、海外への出張も多く、猛烈社員の典型だった。そして、どんなに忙しくても、いろいろな人にキリストを伝えようとしていた。

 脱衣所で寝ていた父は、やっと目覚めると、風呂に入りもせず、そのまま東京に帰っていった。それほど疲れているのに、忙しいのに、私を心配して来てくれたのだろうか。だが、父は何も言わずじまいだった。

 私は結局教師になれず、就職し東京の親元に戻った。そこは、かつての家とは違っていた。日曜日ごとに多くの人が、聖日集会のために集まってくるのだ。

 母は私を集会に引っ張り出そうとした。だが、学生時代以上に面白おかしく過ごしていた私は、遊び歩いては勤め先に寝泊まりし、家を遠巻きにしていた。ただ、心は落ち着かなかった。

 父が、以前にも増してキリストの生命を伝えることを生き甲斐とし、喜びとしていることが、私にもわかった。まったく違う生き方をしていた私は、どこか後ろめたいような気持ちもあって、父のそんな姿を見るのが嫌でたまらなかった。

 ある時、私は父に向かって、「そんなことやって世界じゅうの人が救われるとでもいうの? ありえないね。お父さんのしていることは、偽善じゃないか!」と口に出た。しまった、と思った。

 だが父は何も言わずに、そのまま、気にかかる方を訪ねに出かけていった。いちばん大切にしていることを否定されても、何も語らず、信じたことをひたすら行なう父。私は、かなわない、と思った。

 私は、自分にとって信仰は切っても切れないものだと、どこかでわかっていた。だが、父のような確信はない。自分自身で神様を発見したいという願いが、いつしか募っていった。神様を求めた。

 でも、幕屋の人たちから聞いていたような神様との出会いは、なかなか起こらない。虚しい思いでバスに揺られていたある時、突如として、「おまえはおれのところに来い!」と、バーンと響いてきた。後頭部を何かで殴られたように、目の前が真っ白になった。

 揺れるバスの中で、それから私は何時間も泣きつづけた。なぜだかわからない。嬉しくて嬉しくて、涙が止まらなかった、「神様、これですか、これがあなたとの出会いなんですか」と。私の回心の体験だった。

 その後、生き方を変えようと思い、仕事を辞めた。迷いながらだったが、以前の自分が思い描いていたこととは、まったく違う道を選んだ。神様が喜んでくださる道だと信じて。

 同じ頃、父は定年退職し、キリストを伝えることに専心しようと、四国に移っていった。

 今、私は忙しい仕事をしながらも、私に出会ってくださったキリストを伝えることが嬉しい。こんな自分に変えられたのは、まったく不思議だ。

 その後、父と会う機会は少ない。しかし近くにいた時よりも、なぜか心は近い。父の生きる目的が、少しだけわかってきたからかもしれない。

 時おり、父から分厚い手紙が送られてくるようになった。しかし、会ってもほとんど何も話さないのは、相変わらずだ。