今年の8月15日で敗戦60年目を迎える。14歳だった私は、岐阜市弁天町 の焼け跡のバラックで玉音放送を聞いた。神風は吹かなかった。B29から焼夷弾が雨あられのように落ちる中を逃げ惑いながらも、神風が元寇の時のように吹いて、必ず勝つと信じていたのに!
家族は熊本の田舎に疎開しており、父と二人で電気のない焼け野が原のバラックで半年すごした。そして間もなく父は天に帰っていった。44歳だった。目の前が真っ暗になり、貧乏と虚無の中で過ごした中学,高校時代。しかし、19歳の時、手島郁郎先生に出会った 。
「神は死んだ」と思っていたが、手島先生を通して「神は生きている。キリストの神は今もありありと生きていることを発見し、体験した。手島先生の著書「聖霊の愛」の中に「大日本は神国なり」の言葉を発見した時の喜び、やっと敗戦の日のショックから立ち上がることができた
。
広島の原爆で、家内の両親も3人の子供を残して呻きながら死んでいった。家内のアメリカへの憎しみ、突然両親を失った悲しみは消えなかった。しかし家内も手島先生を通して、阿蘇で生けるキリストの神に出会った。死の悲しみ、憎しみも越えて、今喜んでアメリカで生活している
。
彼(神)はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。(イザヤ書2.4)
今も生けるキリストの「聖霊の愛」のみが解決できる
。
2005.8.15