原始福音
キリストの幕屋

絵物語

板壁の浄土

 
板壁の浄土 挿絵4  

 ところがその時、庵に向かってひたひた歩いてくる音がします。
 そういえば、近ごろこのあたりに、食いあぐねて盗みを働く者が出るといううわさ。
 善恵の体が、ぶるっと震えました。
 とつぜん、月を背に一人の男が立ちました。
「その玉を渡せ!」
野太い声が響きました。善恵はひるみましたが、しずかに答えました。
「この玉は、わしの友よりもらった大事な宝。こちらから渡すわけにはゆかぬ。おまえがわしの命を取ろうというなら取るがよい」
 善恵は宝玉を握りしめました。
「ならば、きさまの命もろとも頂こう」
 盗賊は刀を抜きました。月明かりに刃が、ぎらりと光ります。善恵は目を閉じました。
 男が刀を振り上げたその時、善恵は急に男を振り向きました。
「待て、その刀を振り下ろす前に聞きたいことがある。おまえは浄土を見とうはないか」
「なに、じょうど、だと」

 
「わしは都で絵仏師をしておった。ある時、真の浄土を描きたいと、諸国を旅し、良き師、良き手本を求めた。だが、いずこへ行っても真の浄土を描く者には出会えなかった
 それに、行く先々で見る、飢えや疫病に苦しむ人々の姿。戦のあとのむごい有様。まさにこの世は穢土。わしには浄土が見えなくなった。それで絵筆を折って、このとおりこじきのくらしじゃ……。
 だが今宵、おまえの振り上げる刃のもと、月の光を見ていると、浄土が近くなったようじゃ。急に絵筆が取りとうなった」
「何をたわけたことを」
 男はなおも刀を振り上げています。しかし、善恵の澄んだ瞳にすこしたじろいだようす。
 それを見てとると、善恵は水の器に絵の具をとかし、その中に永年使わずに袋にしまっていた絵筆をひたしました。
 月明かりの中、庵の板壁に、絵筆がスーッと動きます。見る見るうちに仏さまが描かれていきました。
 男はいつのまにか、刀をぶらりと下げて、じっと見入っています。ただ善恵の息遣いと筆の音だけが、秋の夜に聞こえてきます。
 月が傾きかけたころ、庵の壁は阿弥陀如来を真ん中にした極楽浄土の絵となっていました。筆をしまうと善恵は、男に向きなおって言いました。
「さあ、斬るがよい」
 しかし男は刀をおさめました。そして、絵の前にひれふして叫んだのです。
「お、お許しください。このような尊いおかたに手をかけようとした私を」
 善恵は宝の玉を男に持たせて言いました。
「こちらが許せと言いたい。わしは、見誤っておった、浄土がいずこにあるかを」