河盛
今年は『古事記』が編纂されて、1300年の記念の年を迎えます。戦後教育をうけた私は、自分のなかに日本精神を回復したいとねがって、この20年来、『古事記』を愛読してきました。
なによりも私のはげみになったのは、手島郁郎先生の一文でした。(『聖霊の愛』序説より)
「日本人の外側は変貌しても、日本人の実存は変わらないはずだ。日本の古典が現代のわれら日本人に、民族実存への回帰を大きく叫びかけてくるのは、私に大いなる驚きであり、強い霊感である」
私は注解書を手がかりに、こつこつと『古事記』を読みはじめました。けれどもあるとき、そのような読み方に違和感をおぼえました。そして、ふたつのことを想わされ、それを大切にしながら読んできました。
● 古代からの声
ひとつは、数千年から一万年ともいわれる日本の歴史のなかで、文字をもたなかった古代日本民族は『古事記』のものがたりを、人の「声」をもって伝えてきたということです。
『古事記』は他に類を見ない、一見稚拙とも思える漢文で書かれています。当時、『日本書紀』のような立派な漢文を書きえた日本人ですが、『古事記』の場合は、「やまとことば」でも読める文章で綴ってでも伝えたいものがあった。「やまとことば」に宿るふしぎな力、すなわち「言霊」を信じていたからです。
私はその声のひびきをもっとも大切にしてきました。『古事記』はその意味を理解しようとするまえに、音読してこそ、その本質があらわれるのです。
そのことに思いあたった私は、真冬の夜明けがた、雪のまう琵琶湖のほとりに立って、ひたすらお腹から声をだして、『古事記』の本文を読みはじめました。
すると驚いたことに、天照大神様の岩戸がくれのくだりを読んでいる時、まるで自分が高天原に引きあげられたかのような高揚感をおぼえました。
このような体験を大なり小なりかさねながら、私はこの書にひめられた「声」の力、「言霊」の力が、魂にきざまれたことでした。
● 目に見えない世界を尊んで
そしてもうひとつは、人間以上の目に見えない世界を尊んで生きる、という古代の人々の信仰心です。目に見えない世界は存在しないという、現代人の理性万能、科学万能の「さかしらな」こころをもってしては、『古事記』の実像はわからないということです。
神武天皇がご東征のおり、天つカミに祈り、御霊のたすけによって導かれてきたことをはじめとして、天の霊と共に生きた多くの父祖たちの姿。
「それは昔のつくり話だ」とかたづけてしまうならば、古代日本民族の崇高な霊性や精神、数千年のかなたからの古代の声はうったえてくるものではありません。
大和平定の苦戦をしいられた神武天皇は、丹生川上で、天の香具山の土をとって器を作り、五百の榊を根掘じにして、天を仰いで祈られたと伝えられています。これはまさに『古事記』に記された「天の岩戸開き」の時の、岩戸を開く祈りの情景の再現です。そのように先人たちは、伝えられてきたことを同じように行なうときに、同様のことが起きると信じていたのです。
手島先生も、「聖書を読んで、イエス・キリストや使徒たち、また旧約の預言者について書かれていることを、バカ信じに信じて行なうならば、現代でも同じことが起きる」と言って伝道されました。
● 日本人の魂のよるべ
昨年の東日本大震災は、戦争に比するほどの被害を日本におよぼしました。しかし、目に見えるかたちの災害よりもおそるべきは、現在進行形ですすみつつある国家の崩壊と日本精神のメルトダウン(溶融)です。
日本人はいよいよ目に見えない世界を無視し、民族の宝である『古事記』も、たんなる古典の一冊として扱うのみです。
しかし驚くべきは、『古事記』の神代の記事を読んだだけでも、現代の日本が直面している危機を脱する秘訣が書かれており、また、現在までの歴史を予言しているかのような箇所がいたるところにあることです。
本居宣長も『古事記伝』のなかで、同じような主旨をしるしています。
「世のなかにありとあることは、すべて根底は神代の趣に相違したことはない。過去も現在も将来もそうである。神代の深き正しき理解によって歴史を知り、現実の正しい理解をなすことを得、また将来行く先を正しく予想し、それに対処してゆくことができる」
まさに『古事記』は、聖書と同様に、たんなる歴史書ではなく、日本人の魂の帰るところ、そして未来への道しるべでもあると言うのです。
● 民族再生の力
世界の諸民族には、それぞれ民族誕生の神話があります。「神話の力」は民族再生の力ともなりうる、実に大きな力をもっています。しかし、多くの国々がその神話の力を発揮できず、栄枯盛衰をくりかえしてきました。では、どうして日本民族は数千年以上にわたって民族を存続させることができたのでしょうか。
『古事記』冒頭で、イザナキノカミとイザナミノカミが「このただよへる国を、修め理り固め成せ」 との天よりのご命令を受けて、天之御柱を立てられました。
そのように、国が、民族が、根なし草のようにただよい、くずれるような危機のときには、堅牢な天に通ずる祈りのはし ― 天之御柱をうち立てては天つカミのもたらしたまう御霊の力をもって、危機を乗りこえてきたのが日本民族です。
今や、国家も民族も向かうところをしらず、根なし草のようにただよっています。このときにこそ、今も私たちの上にひびきつづけている「このただよへる国を、修め理り固め成せ」の詔を実現すべく、人力を超えた天に通ずる「祈りの柱」を立てねばなりません。
『古事記』編纂1300年とはいいますが、日本の宝であるこの古典の真髄は、まだあきらかにされているとはいえません。キリストの聖霊に浴した民が、この書に向かうとき、私たちの父祖たちの祈りと、あかあかとした霊性が浮かびあがってくることでしょう。
(大津市在住)
|